[文章] 悪魔

Mar 01, 2012 23:52


悪魔
作家:星新一


その湖は、北の国にあった。広さはそれほどでもないが、たいへん深かった。しかし、いまは冬で、厚く氷がはっていた。
 エス氏は休日を楽しむため、ここへやってきた。そして、湖の氷に小さな丸い穴をあけた。そこから糸をたらして、魚を釣ろうと言うのだった。だが、なかなか魚がかからない。

「面白くないな。何でも良いから、ひっかかってくれ」

こうつぶやいて、どんどん釣糸をおろしていると、なにか手ごたえがあった。

「しかし、魚では、ないようだ。なんだろう」

引っぱりあげてみると、古いツボのようなものが、針にひっかかっていた。

「こんなものでは、しようがないな。捨てるのもしゃくのが、古道具屋へ持っていっても、そう高くは買ってくれないだろう。ひとつ、なかを調べてみるとするか」

なにげなくフタを取ると、黒っぽい煙が立ちのぼった。あわてて目を閉じ、やがて少しずつ目をあけると、ツボのそばに、みなれぬ相手が立っている。色の黒い小さな男で、耳がとがっていて、しっぽがあった。

「いったい、なにものだ」

エス氏がふしぎそうに聞くと、相手はにやにや笑ったような顔で答えた。

「わたしは悪魔」

「なるほど。本の絵にある悪魔も、そんなかっこうをしていたようだ。しかし、本当にいるとは思わなかった」

「信じたくない人は、信じないでいればいい。だが、わたしは、ちゃんとここにいる」

エス氏は何度も目をこすり、気持ちを落ち着け、おそるおそる質問した。

「なんで、こんなところに現われたのです」

「そのツボにはいり、湖の底で眠っていたのだ。そこを引っぱりあげられ、おまえに起こされたというわけだ。さて、久しぶりに、なにかするとしようか」

「どんなことができるのです」

「なんでもできる。なにをやってみせようか」

エス氏はしばらく考え、こう申し出た。

「いかがでしょう。わたしに、お金をお与え下さい」

「なんだ。そんなことか。わけはない。ほら」

悪魔は氷の穴にちょっと手をつっこんだかと思うと、一枚の金賃をさし出した。あっけないほど、簡単だった。首をかしげながら、エス氏が手にとってみると、本物の金賃にまちがいない。

「ありがとうございます。すばらしおちからです。もっと、いただけませんでしょうか」

「いいとも」

こんどは、ひとにぎりの金賃だった。

「ついでですから、もう少し」

「よくぱりなやつだ」

「なんといわれても、こんな機会をのがせるものではありません。お願いです」

エス氏は何回もねだり、悪魔はそのたびに金賃を出してくれた。そのうち、つみあげられた金賃の光で、あたりはまぶしいほどになった。

「これぐらいでやめたらどうだ」

と悪魔は言ったが、エス氏は熱心にたのんだ。こんなうまい話には、二度とお目にかかれないだろうと考えたからだ。

「そうおっしゃらずに、もう少し。こんど一回でけっこうです。お願い。ですから、あと一回だけ」

悪魔はうなずき、また金賃をつかみ出し、そばに置いた。

その時。ぶきみな音が響きはじめた。金賃の重みで、氷にひびがはいりはじめたのだ。そうと気づいて、エス氏は大急ぎで岸へとかけだした。

やっとたどりつき、ほっとしてふりかえってみると、氷は大きな音をたてて割れ、金賃もツボも、かん高い笑い声をあげている悪魔も、みな湖の底へと消えていった。

おわり。

bunshou; hoshi_shinichi

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