- Title: Live and Let Live
- Language: Japanese
- Rating: PG-13
- Pairing: James H/ Niki L from "RUSH" (W POV)
- a disclaimer: Of course, it's all fiction.
- Summary: 1976, Italian GP, just after his come back. And their memories.
1976, James
イタリアの観客があいつの名を歓呼するのがいつまでも聞こえる。今日ばかりは、フェラーリ気違いが、と罵っても無駄なのは分かっている。
俺はまたしてもリタイアし、何を言われ何を書かれるかはもう目に見えている。不死鳥ニキ・ラウダ、そのライバルは飲んだくれのクズ。外野の言うことなど気にはしない。ともかくも、これで残り少ないシーズンをもう一度あいつと戦えるのだから。
俺は不機嫌なチームの連中を適当に避けてそわそわと歩き回っている。尊敬と恐れと、隠しおおせぬ好奇の目を掻い潜って独りになりたいはずの、あいつを探して。
あいつはレース前に確かに俺に言ったのだ、俺のせいでここに戻ってきたと。まだボロボロの身体のままで。俺は誇らしい思いと泣きたいようなつらさで一杯だった。そしてあいつはあいつらしくちゃんと走り切った。嬉しいのと悔しいのと自分が情けないのでぐちゃぐちゃになりながら、俺は必死になってあいつを探した。どうやってもここを出る前にあいつに触れたかった。
薄暗いコンクリートの廊下の途中にお前を見つける。隙のないフェラーリのオーバーオールの襟元を息をつくために緩め、痛々しい包帯の頭を壁に預けて。
逃げて傷ついた小鳥を捕まえようとするように、俺はおもむろにお前に近づく。ただ逃げないでくれと願いながら。お前の表情は逆光で見えないが、俺を避けて立ち去る様子がないのだけはわかった。
俺はお前の目の前に立ち、かける言葉の一つも見つからないままに抱きすくめた。
「痩せたな」
つい、間違いなく癇に障ることを言ってしまう。
「分かっている、次のレースまでには食って鍛えて戻す」
減らず口が、と思った時には衝動的に口づけていた。
俺がお前を待っていたように、お前も俺を求めろ。
中途半端でレースを降りて行き場を失ったアドレナリンが突然に身体を駆け巡り、俺はお前をコンクリートの壁に押し付けて自由を奪い、キスを深くした。
突き飛ばされるかと思ったが、意外にもお前は俺に挑むように応えてきた。
生きる実体を確かめるように俺にしがみつくお前の脚の間に膝を入れて壁に縫いとめる。
大丈夫だ、お前は確かに生きている。
俺も確かに生きている。
怖かっただろう、きつかっただろう、それは語らずともわかる。
俺にはお前の死の恐怖を癒してやることはできない。ただ俺がいることをお前に分からせてやることならできる。
唇を離すと、お前は苦しそうに息をつく。
まだ全然治ってないんだろう?無理やりに戻ってきたんだろう?
俺はお前のお袋でも嫁さんでもないからそんなことは言わない。お前が走ると決めたなら走ればいい。
でも突然に胸が締め付けられて、俺はお前の、まだ傷跡の生々しい額に、触れるだけのキスを落とす。
「おかえり」
お前の薄い唇が笑みを作り、前歯が少し覗く。
「おかえり、ネズミくん」
まだしばらくひとりで物思いにふけるのだろうお前を残して俺は廊下を先へ歩く。
お前の身体が名残惜しい。
そして俺はあの夜のことを思い出す。
1970, Niki
「大丈夫だあいつは死なないさ、神も悪魔もこいつは要りませんと送り返してくるようなやつだ」
「・・・そうだな」
軽口をたたいてみても安パブのビールをいくら呷ってみても、気分はまったく上がらなかった。
いかにF3にしのぎを削る連中が命知らずだとはいえ、一瞬で命を奪われるかもしれない恐怖を誰よりも肌で知っているのは自分たちだった。
その日、酷いクラッシュで一人のレーサーが瀕死の重傷を負った。
単独事故だったから誰のせいでもない、そいつ自身の責任だとはわかっていながら、レーサーの誰もが死神の息をなんとなくまとわりつかせたままでサーキットを出た。
「僕は先に帰るよ」
僕はジェームズの肩を軽くたたいて立ち上がった。
スツールに斜めに座って長い脚を持て余すようなジェームズを残して、僕はひとり帰路についた。
帰る先はジェームズとシェアしている安フラットの一室だ。
なぜ死の恐怖すら共有しなきゃいけないような相手と部屋まで共有しているんだ?
彼は数時間後に、カウンターの端に座っていた花柄のシャツの女をひっかけて僕たちの部屋に戻ってくるだろう。勝手にしろ。
部屋に入ると冷蔵庫から瓶ビールを取り出し、飲みたくもないのに惰性で口をつけてソファにどさりと倒れ込む。
香水くさい女連れでもいいから、あいつ早く帰ってくればいいのに、などという思いを振り払いながら、僕はじっとりと寝苦しい浅い眠りについた。
建付けの悪いドアが軋んで開く音とぞんざいな足音でぼんやりと目を覚ました。
「まさか手ぶらか?」
「もうやってきたさ」
「身も蓋もないな」
僕が寝なおそうとすると、薄暗がりのなかを大股の足音が近づき、ソファに身を横たえた僕の上にジェームズの身体が覆い被さってきた。
酒場の匂いと行きずりの女の香水の匂いに顔をしかめ、何の悪ふざけだと問いながら、どこか僕は驚いてもいなかった。ジェームズが僕の耳元に
「女を抱いてもダメなんだ、お前が欲しい」
と切羽詰まった声音で囁いてきた時すらも。
多分それは、僕が浅い眠りに落ちる前に、ジェームズの帰りを待ちわびていた気分と同じものだとすぐにわかったからだ。
「ジェームズ」
僕は逡巡しなかったわけではなかったが、僕の巻き毛に手指が差し込まれ、頭を抱えられるようにして唇を奪われた。
悔しいけれど女たらしの腕は本物と思われた。
唇を解放された時には息が上がり、至近距離から飢えたような目で僕を見ている彼の体温を求めずにはいられなくなっていた。
調子に乗って完全に身体を重ねてきたジェームズは、僕の癖毛に鼻を埋めてはくだらないことを言う。
「お前シャワー浴びたか?機械油臭い」
「お前の女が持ち込んだ安シャンプーで落ちるようなもんじゃないだろう」
適当に返していると、ジェームズは突然に思いつめたような声音になった。
「お前と寝ても何ひとつ忘れられないな」
女たちの求めるままに自分を分け与えているようにすら見えるジェームズが、実は死や敗北の影から逃れるために彼女たちを抱いているのだということに、その頃僕はすでに気づいていた。
それでもなお癒され難いこんな夜には、同じ匂いの染み付いた僕を求めるというわけだ。
僕も同じだった。彼がこういう男でこういうことがなかったら、僕から行動することはなかっただろうけれど。
「最後まではやらないから安心しろよ」
僕の脚の間から顔をあげてジェームズが言う。ひどいタイミングで僕は現実に戻される。
「やめるな」
僕は彼の金髪の頭を掴んで、とっさに引き寄せながら言った。
懇願しているように響いただろうか?
「明日もテストに走りに行くんだろう?」
ジェームズの言葉が僕を煽っているのか、それとも本当に僕の予定を尊重しているのか、それはわからなかった。
「それは僕の勝手だ!お前が気にすることじゃない!」
窓から差し込むわずかな街の明かりに照らされたジェームズの顔が、何とも言えぬ不敵な笑みをつくるのが見えた。
「後悔するなよ、ニキ」
ジェームズは悪名高きイングランドのパブリックスクール出身で、腹が立つほどに手管を心得ていた。僕はほとんど後悔するほど悲鳴を上げ、おそらく彼の肩に爪が食い込むほどしがみつき、涙を舐めて取られるという屈辱を味わい、泥のように眠った。
ただ、走っている時と同じくらい生きている実感があった。
翌朝目が覚めると、動くのも苦痛なほど身体が痛かったが、勘付かれるのも悔しいのでなんとかゆっくりと身を起こした。コーヒーのいい匂いがして、ジェームズが上半身裸にベルボトムを穿いてキッチンに立っているのが見える。ラジオから流れるレッド・ツェッペリンに乗って無意識にうねる腰つきが悪い連想を呼ぶ。
「おはよう、ニキ。お前にしては朝寝坊だな」
熱いフライパンにイギリスの不味いベーコンが乗る音がする。
ジェームズはいつもと何一つ変わらぬ笑顔を僕に見せる。
これが後腐れなく女にもて続ける顔なんだ、と思ったが妙にありがたかった。
何も言わず、ソファにいる僕のもとまで彼が持ってきたコーヒーとベーコンとトーストを食べた。
それから、まるで意地を見せるようにテストドライブに出かけて行った。
まるで同じ毎日に戻り、僕らは悪態をついたり大笑いしたりしながら、チェッカーフラッグと表彰台を求めて競い続けた。
1976, Niki
逆光にジェームズのシルエットが浮かんでいる。
僕は唇に指をあてて、彼の残した煙草の匂いを感じていた。
あの夜の彼の記憶がよみがえって、気恥ずかしさと懐かしさで口元が緩んだ。
彼が振り向いてこちらを見たような気がして、慌てて手を下ろす。
まだまだジェームズと僕の日々は続く。
すり減った神経と立ってるのがやっとの身体、それでも戻ってきて良かったのだと心底思う。
<END>